年が明けたが

どうも明けた気がしない。

仕方ないのかもしれない、東京のコロナの新規感染者数が1000人の大台を軽く超えて、それでも年越しに浮かれられる程図太くはない。

でもそれを抱えながらも仕事も何も日常生活を送らないといけない、それだけだ。


怖いし、漠然とした不安感は続く。

それを口に出すのも憚られる位コロナは日常に浸透してるけれど


元通りには決してなれないだろうに、今年は大変だったけど来年はきっとと希望を謳う。

来年も、いな今年2021年もコロナに振り回される年になることは最早明白なのに

 
それでも願わずにはいられない。

良い1年になりますように、と。

去年よりもずっと深く重い言霊をのせて

自分と、家族と、周りの大切な人が日々を憂うことの少ない素敵な1年になりますように、と。

そういう一年にしてやるという気概をもって、2021年の初めの日を迎えよう。

氷と炎

最近、「僕のヒーローアカデミア」通称ヒロアカのアニメを見始めた。

名前はよく聞くものの観る機会がなかった。とても面白い。

ヒーロー像、光と影。分かりやすく単純明快。それでいて負の部分、綺麗事じゃない所も練られてる。

キャラの個性を活かした戦い方とか成長の過程とか、飽きないどころかどんどん引き込まれる。

正統派で面白いこういう作品ってやっぱ良いね!構成が凄いね!って思う素晴らしいアニメだ。


その中で轟くんというキャラクターがいる。
主要キャラの一人でイケメン枠。女性人気の高そうなキャラ。

彼は半冷半熱、氷の力と炎の力をもち、その両方を自由に操ることができる。

しかし、過去の経緯から氷の力のみで戦おうと決意している。(その後主人公との戦いをきっかけに変わるが)

自分の二つの力、母の個性と父の個性。
その二つを引き継ぎ、父の一番への執着心に利用されることに抗い、母の苦しみを背負いながら、彼は戦う。ヒーローを目指す。


轟くんをみて、思い出した小説がある。
エイミーベンダーの『燃えるスカートの少女』

文庫本の装丁がとても静かに美しくて、本屋で思わず手に取った一冊。

海外小説は、日本語訳の不自然さや設定に戸惑いを覚えて読み進められないことが多い。

この本は短編集で、原作の言葉遣いの息吹を感じられる和訳で珍しくとても気に入った海外の小説。

この中で「癒す人」という短編がある。

ある囲まれた田舎町。二人のちょっと変わった少女が生まれた。一人は手から炎を出し、もう一人は手から氷を出す力を持っていた。

その二人が中心のお話。面白いことに、氷の少女は癒やしの力をもち周りから感謝され重宝される。

一方で炎の少女は人を傷つける恐れがあると(実際に彼女はある男の子に傷を付けたのだが)周りから疎まれ嫌われ者になる。

二人とも特別な力を持って生まれたという点では同じなのに、それぞれ分かり合う事のできない、違う形の孤独を持っている。

自分の与えられた力に、それを利用しようとする大人たちに静かに絶望し、最後にはいくらかの癒やしの氷を残して街から消える氷の少女。

力で人を傷つけた、と何も分かってない大人たちに非難され、牢屋に入り、腕を切り落とし、それでも消えぬ力を抱えて街の片隅で静かに力を使って街の人々に癒しを与えることになる火の少女。

二人の少女が何を思い、その後どんな大人になるのか想像してみたり。

寓話的な話だが読了後の不思議な余韻は癖になる。


氷と炎。冷徹と情熱。暗と明。凝縮と解放。

対称的な二つの力が混じり合ったとき、ただの中和になるのか、はたまた。


そんなことを考える2020年の暮れでした。

仕事納め、帰りの電車に揺られて

感じるのは解放感と気だるさと眠気  

やっと仕事納めだ。ゆっくりできる。 

でも少ししたらまた同じ日常が始まる。


束の間の平穏が怖いくらいには会社に行くのが嫌だ。

暴力的なまでの倦怠感から最近なんとかやっと抜け出しかけたとこなのに。 

これで長い休みに入ったらどうなっちゃうんだろ。
もとに戻れるのかな?


なんとか仕事をこなして帰宅できた達成感と、年が明けても私が病んでも仕事は、人生は、前に進ませないといけない絶望感が天秤の上で揺れてる。


どうしてこんなにも悲観的な気持ちから抜け出せないのか。


まぁなにはともあれゆっくりしよう。

仕事の夢を見ずに眠れることを祈って

クリスマスと年末の狭間で

クリスマスと年末年始の間の数日間
この独特の雰囲気が好き。


街はどこか高揚していて、でもクリスマス前のぎらぎら感は消えてる。なんか落ち着く。


スーパーには売れ残りのケーキと蟹やおせち料理のおかずが並んでる。


2020年ももうすぐ終わる。
毎年の事ながら実感などまるでない。
あっという間の一年だった、と毎年言ってる気がするが、今年は特別な一年だった。



こんな日々が来るとは思わなかった。



不謹慎かもしれないが、風邪のときに一瞬テンションが上がるように最初は非日常に酔ってる所があった。その勢いで乗り切れた。


でも非日常が日常に浸透して、「新しい日常」なんて言葉も出てきた。
受け入れられないまま当たり前の日々は刻々と過ぎていて。


もっと辛い思い、大変な思いをしてる人が大勢いるのは分かってる。


でも自分の日々の楽しみが制限されたり、出掛けたりご飯に行くことも逡巡することが、こんなに堪えるとは思わなかった。


そんな中で芸能人の自殺のニュースをみて、テレビの画面をぼんやり見ながら涙を流した。
そんな日もあったな。


ワイドショーで出演者が神妙な顔で感染者数を発表するのを、もう聞きたくない。 
そう思ってもどうにもならない。


若さがすり減っていくことへの焦りとか、仕事への不満や不安とか、未来への絶望とかコロナとともに色々感じた一年だった。


希望は、心から好きだと言えるものがあること。それがただただ救いだった。

それに救われながらも、日々薄い絶望に覆われて満員電車でため息をついて目をつむってた。



明日が来なければいいのにと思いながら眠る夜を越えて、救われながらなんとか日々をこなして今日まで生きてきた。


コロナが過去のものになった時、歴史の一部に追いやられた時、私は今より幸せなのかな。
どうなんだろ。わかんないな。

「ブログで日記を書いてみよう」

 

と思ったのはなぜか、自分でもわからない。

ただ、漫然とやることもなくぼんやりと過ごす日々を、いつか見返して自分が何か感じられたら面白そうだな、とは思う。

 

文章を書く練習にもなるし、と前向きにとらえてみる。

飽き性だから、そんなに続けられないだろうけど。

 

最近はキリンジの『エイリアンズ』という曲をよく聞いている。とりあえずこの曲を聴いて、思い浮かべたことを書いてみる。

 

何度聴いても染みる。通算100回くらい聴いた気がする(言い過ぎかな?)

本当に良い曲だ。最強のラブソング、寂しくて独りよがりで、でも互いを深く想いあっているのが伝わってくる歌だ。

 

「街頭に沿って歩けば ごらん 新世界のようさ」

二人が寄り添って歩くっていうより、つかず離れず歩いてる様子を想像してしまう

 

「まるで僕らはエイリアンズ」

二人は、日常世界から切り離されたエイリアンズ(異邦人)

ふたりだけが世界からはじかれて、のけ者にされている。でもそれを恥じたり憂いたりせず、ふたりっきりの閉ざされた世界を満喫している。

ともに世界を駆け抜けることができる相手を見つけた希望と前向きさを感じる。

 

でもこの曲は寂しくてちょっと薄暗い別れの曲なのだろう。

 

「踊ろうよ さあ ダーリン ラストダンスを」

よくわからないけど(そこがいい!)、ふたりは離れ離れになってしまう。もしくは、二人の幻想は解けてしまう。好きだけど、どうしても分かり合えない部分に出会ってしまったのかもしれない。どんなに一緒にいても分かり合えず、好きなのに傷つけあってしまう。

 

タイトルの『エイリアンズ』は、二人はどこまでいっても自分とは違う他人(エイリアン)同士でしかない、という悲しき恋の脆さを表現しているのだろうか。

 

寝つきが良くなる曲だと思う。ぜひ聴いてみてください。