誹謗中傷と批判の境界線

私とYouTubeの出会いは中学の頃。
ボカロ曲や歌ってみたを聴きあさっていた。 

YouTubeでサーフィンする中で思いも寄らない曲に出会うのは面白かったし、自分の知ってる歌謡曲とは歌詞も曲調も一線を画す新しい音楽に出会えた事にときめいていた。

友達におすすめしたり、おすすめされたり、そんなのもとても楽しかった。

悪食娘コンチータとか、人柱アリスとか、ローリンガールとか、その辺りが初めて聴いたボカロ曲だった。

ストーリー性があったり、上手く普通に適合できない自分に寄り添ってくれたりするボカロにあの頃沢山救われた。

鬱屈した学生時代に一時の安らぎをもたらしてくれた存在だった。

高校に入ってからもボカロは好きだったけれど、その頃初めてYouTuberの動画を少し見るようになった。中学高校の頃は、正直YouTubeよりもニコ動の方がメジャーというか流行っていた気がする。

それでも私はなんとなくYouTube派で、ボカロを聴くのもYouTubeだった。

YouTuberの動画をたまーに見てみたりしても、それ程興味はなかった。
大学に入ってからもオタクあるあるみたいな動画を極たまに見るくらいだった。

YouTubeにどっぷり浸かるようになったのは、コロナで自粛が始まった時期から。
その頃から毎日みるようになり、多くのYouTuberを知った。

色んなジャンルの人がいて、この人はこれからチャンネル登録者数増えそうだなとか、この人たちは編集凝ってるなとか分かるようになってきた。

昨今YouTuberの炎上やそれに伴う彼ら彼女らへの誹謗中傷が話題にのぼる。

YouTubeにはコメント欄があり、ファンが感想を述べたり、YouTuberがそこから意見を掬い取ったりしてる。

コメント欄が良い形で機能すればよいけれど、動画内容やYouTuber自身が炎上した時、コメント欄は誹謗中傷の主戦場とかす。

私自身コメントを書き込んだことはないが、動画を観るときには大抵コメント欄を眺めている。
そこに書き込まれている匿名のコメント。

そんな誹謗中傷コメントをする心理が私にはよく分からない。
自分が何らかの被害にあうとか、自分や身近な人、大切な価値観なんかを批判されたから誹謗中傷する、というならまだ分かる。

でも誰々が可哀想とか、匂わせ、とかそんなのは結局個人の主観じゃないだろうか。

自分に直接関わる事じゃないのに非難するのは不思議だなと思う。

YouTuberの動画外の姿や実際の関係値なんて、結局画面越しにみてる人々に分かりはしないのに。

誤った正義を振りかざしているように見えて、正直見苦しいなと思うこともある。

こういう考えに対して、誹謗中傷ではなく中身のある、愛ある批判だという人もいるだろう。

確かに人の変えられない要素や容姿を馬鹿にしたり、あからさまな悪口を言うのは、決して良くない。

でも、だからといって自分の意見や価値観を正当なものと思って人に押し付けるのは、余計に厄介だしはた迷惑だろう。

意味のある意見だから構わないだろっていうのは違うと思う。

それをジャッジするのは匿名でコメントする側の人間ではないと、私は思う。

ファンあっての視聴者あっての客商売だとしても、視聴者が演者を支配しコントロールしようとしている様をみるのは、正直気分がよくない。

良くも悪くも距離が近くて、友達感覚だからこそなのかもしれないけれど。

自分の意見が相手に届かないのは可笑しいなんて考えこそが、ちゃんちゃら可笑しい。

YouTuberは大変そうだなと思う。
どんな仕事も大変じゃないものなんてないけれど。

面白い動画をだらだらみてへらへら笑える日々が続けばいいと思う。